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殺人事件の55%は親族間で行われている

テーマ:[政治]
更新日: 2018年 8月 4日(土)
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はじめに

人間を作る教育をイメージしたイラスト
© C.T.Labo

2016年の統計で少し古いですが、現在日本では殺人事件の半数以上は親族間で起こっています。

しかし、今だに信頼できるのは家族だけという幻想に取り憑かれた人がいたり、何より自分の親に対してあたりが強かったり、自分の子供に対して人間をやめさせる奴隷のような規制を引く親が後を絶ちません。

目次

  1. 1. 殺されるなら親族の誰か
  2. 2. より近い民族に対して厳しすぎる人間
  3. 3. この民族が教育に関して無知
  4. 4. まとめ

殺されるなら親族の誰か

日本の殺人事件の55%が「親族間殺人」という現実──。「親を奴隷化する引きこもり」リアルな現場を知る著者が訴える、親子問題の解決策とは? | ダ・ヴィンチニュース

この記事にあるように、日本の殺人事件の半数以上が親族間で行われています。親族間ということで必ずしも親が自分の子供を殺害するというわけではありません。

一番最初に思い浮かぶのはやはり上の記事のタイトルにあるように、親の脛をかじっている引きこもりの息子を親が限界に達するということです。しかし、実際それだけではありません。むしろ親が規制しすぎて、一家を殺害するようなショッキングな事件ももちろん混ざっています。

その子供自体はおそらく親が気合い入りすぎて、規制しすぎて育てたあるいは放置しすぎた故に社会についていけなくなった子供なので、全てはその親の育て方が原因なのですが、自分が育てた子供をどうしようもなくなって殺すなんてなんとも皮肉なもので悲しさしか残らないニュースです。

その引きこもりの子供は生まれてから死ぬまで何もせずにいるという、実験動物のような人生なので少しでも親が与える教育についてその責任と重要性について学んで欲しいものです。

しかし、逆に言えば日本で赤の他人に殺される可能性の方が少なく、むしろ近しい人間こそ殺人者に見えるというその意識こそがむしろちょうどいいのかもしれません。日本ではやはり親が子供に対して、子が親に対しての態度がどうしても同一価値観でないように思えます。

より近い民族に対して厳しすぎる人間

日本人は特により遠くにいる存在に関しては非常に寛容的であらゆる価値観を受け入れますが、逆に近ければ近いほどその存在に関しては不寛容で価値観が多様であることをどうしても受け入れようとします。

例をあげると、より国際的になるのですが、日本人は欧米人の価値観の多様さは受け入れますが、中国や韓国の価値観を受け入れようとしません。なぜだか国がより近くなると、人種が近ければ近くなるほど多種多様な価値観を受け入れることをせずに、日本と同じ価値観を強要するところが非常に目立ちます。

もちろん、日本にいる中国人・韓国人の行動に問題があればそれは積極的に指摘すべきだとも思いますが、それをもしヨーロッパの方やアメリカの方が同じような行動してもアメリカは自由の国だからという謎の脳内変換で片付けるのが多いように感じます。

これと同じように、この日本人という民族の多くの人間は家族間で接する態度と学校やあるは社会で接する態度を変える機会が非常に多いように感じます。なぜか自分と近くなるとMy Ruleの上で言葉を話そうとあるいは行動を取ろうとします。

この民族が教育に関して無知

この殺人事件の半数以上が親族間というのは、家族間のリスペクトが足りないのは間違いようのない事実です。

親しき中に礼儀あり」という言葉は非常に、日本的でなく日本人らしからぬ価値観であり、その上で大事な考え方であると思います。この言葉を知らない人はほとんどいないと思いますが、この言葉を知った上でないがしろにして、学生が平気な顔して両親に対して不機嫌な態度を取ってみたり、親が子供に対して厳しすぎる規制を引いてしまうのだと思います。

筆者が問題にしたいのは後者で、親が子供も規制しすぎるという点です。これが間違いなく何よりも問題で全ての元凶だと思っています。親が厳しすぎなければ、友人との関わりをもう少しもてて外向きの性格になったのかもしれません。親が厳しい規制を引かなければ、大人になってまでゲームに溺れるような人生を歩んでいなかったかもしれません。

責任の所在が常に間違っています。引きこもりが引きこもりになったのは間違いなく、その親の教育であって、生まれた瞬間にその人間の性格が決定するのはあまりに不思議なことです。この考え方が治らない限り、この民族の文化である親族殺しがなくなることはないでしょう。

まとめ